自分が本当にやりたいことが何かを知っている人は強い

日本では本当にやりたいことは何か、わからない人は結構多いと思う。フィンランドに10年住んでみて思うことは、ここでは自分のやりたいことがわかっている人の割合は日本よりも多いと思う。全員にアンケートをとったわけではないので、あくまでも筆者の主観です。

日本での教育は大きな原因ではないかと思う。おそらく例外なく全員が、幼少期にはなにかかにか、興味があること、やりたいことが存在していたはず。学校に入り、団体行動が求められ、同調圧力が働くことにより、本当に自分の中から自然に派生する、興味があること、やりたいことは、だんだんと後ろへ追いやられていくのだと思う。自分の考えよりも、周りの人が認める行動の重要性のほうがよほど大事になり、その結果自分自身の本当にやりたいことはいつの間にか消える。大人になって自分が本当にやりたいことが見つからない人が結構いて、人生が楽しくない、生きる意味が見いだせないなど、苦しんでいる人がいることを考えると、とても勿体ないことだと思う。努力不足、などではなく、むしろ認められようと頑張ったことにより、自分の本当にやりたいことがわからなくなり、苦しむ。なんだか、本当に勿体ないと感じるのは私だけではないだろう。

自分が本当にやりたいことが何かを知っているということは、状況にかかわらず、生きることにおいて最高の武器だろう。

日本人とフィンランド人の違い、その①

あくまで私個人の考察ですのであしからず。ちなみに私はフィンランド在住約10年。夫はフィンランド人です。

フィンランド人には、”普通”、がない。これは私にとっては大きな発見です。

日本では普通という言葉は日常的に使われていると思いますし、自分を表現する際も、周りの人と比べてどういう状態かと考える場面が多いと思います。むしろ、無意識だとしても普通という基準があってこそ、会話が成立するということもあり、例えば、空気を読むということや常識の範囲内という言葉の中には、特に法律などで決まっていなくても、多くの人が認める普通が存在しているということだと思います。

私が普通はどうなのか、という質問をすると、答えは、”普通などない、人それぞれだよ”と言われることが多々ありました。慣れとは不思議なもので、最近は普通はどうなのかという質問は自然としなくなり、人それぞれだと考えるようになってきたと思います。

習慣とは面白いもので、郷に入っては郷に従え、のように自然と慣れてくるものです。

人間は世界を自分自身で作っているんだと、改めて思います。

歴史を学ぶのは過去を知るためではない

今日は気づきがありました。

歴史を学ぶことは過去を知ること、と思いこんでいましたが、歴史を学ぶことは、変化を知ること、その視点で見ると歴史を学ぶ価値が浮き出てくるように感じました。

過去から現在への変化の仕方を知ることによって、現在から未来への変化を予想する事も興味深いです。中身がすべてわからなくても、少なくとも確実に変化はする、このまま変わらないということはありえない、ということを実感することは、価値があるように思います。

例をあげると、ネットや携帯電話が普及する前、した後、これらの世界の変化を知ると、これから、人工知能、ロボットが世界をどのように変えるか、具体的ではなかったとしても、確実に変えるであることはわかります。

 

AI 人工知能

最近ますますブームになっている人工知能。すごく興味深いですよね!人工知能の定義は様々らしいですが、機械学習、特に深層学習って言われているディープラーニングってすごそうです。良く例えられてるのが、コンピューターが目を持ったって言われてますよね。これで手もできるとものすごそう。みんながあんまり楽しいと思えない仕事や退屈な仕事を変わってくれるとすると、これからの未来はうつ病とかなくなりそーです!

これからは脳を鍛えるのが重要かも。なぜなら衣食住が揃ってて、好きなこと出来ることにきちんと幸せを感じれる脳を作るため。買い物中毒や、隣の芝生は青く見える、みたいな、欲が止められない脳だと、どんなに幸せになれる環境が整っても、幸せって感じられない可能性大ですもんね。脳のエクササイズ大事ですね。